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アノラックフェス2025チケット予約開始。
インドでは左利きはどうしてるの?
左手って不浄の手でしょ?左利き肩身狭い??
はい、それはいいとして
チケットの予約受付が開始されました。
『アノラックフェス2025』です。
UNKOWN LUCK FES in NIIGATA 2025
9/28(日) 新潟GOLDEN PIGS RED STAGE
出演
TAG 、E//+Z、YokodieS、
HEROINE FROM Nether
(Vo_nigu , Gt_ハクタユウト , Gt_izumi, Ba_進藤渉 , Ds_ミズノタクヤ)、
あかしまセッションバンド
(Vo.ドクテロ・イチロウ(ex.毒殺テロリスト), G.健太(NEiN) B.DON(あかしま), Dr.拓馬(NEiN、Lem、ex.Syndrome))
…and more!?)
開場 16:00 / 開演 16:40 / 終演予定20:30
前売り5,963円 (D付 TAX IN)
当日6,464円 (D付 TAX IN)
https://tiget.net/events/391460
馴染みのある人には「あのアノラックフェスか!」という形で伝わるでしょう。
初めて聞いた方には「なんなの?」という響きで捉えられていると思います。
このアノラックフェスとは、我々、新潟出身・ゆかりのあるものどもが集まって
地元、地域活性化を願って、これまで隔年で開催してきたフェスなんです。
このアノラック、昔地元新潟ではレインコートのことを「アノラック」って言ってたんですね。
アノラック(英: anorak)とは、寒冷地や山岳登山などでよく利用される、フードつきのアウターウェア。元はアラスカ先住民のイヌイットが着るアザラシ皮のアウターウェアだった。パーカ、パルカ (parka) 、ヤッケ(独: jacke)ともいわれる。
(出典Wikipedia)
だそうなのだけど、なぜ新潟の一部地域でそう呼ばれていたかはわからない。
それをもじってアンノウンラックフェス(知られざる幸福)=アノラックフェスとして始めたのが始まり。
自分の捉え方としては、生まれてくる時代や性別、環境は選べない。
だからこそ、その手にした環境・状況を楽しむべきだという考えです。
自分は1970年代に新潟市に生まれました。
地元の仲間に囲まれ、地元のライブハウスに入り浸ってバンドに憧れ
バンドを組み活動を開始して、という成人するまで過ごした、大事な地域。
その後、拠点を名古屋、東京と移して活動をつづけ
これまで接点のなかった憧れの先輩方、B~Tのマニピュレーターを務める横山和俊さん(横さん)
MALICE MIZERで世界を驚かせたKoziさんらと知り合うことができ、幸運にも同じステージを幾度も経験させてもらった。
そこに後輩のniguや、これまた先輩だったけど長い間ステージは共にしていなかったイチロウさんも巻き込んで
「新潟でやっかね!」を繰り広げた、地元愛のイベントです。
ここに、自分の10代後半の何も知らなかった頃を支えてくれた
6stの本間元さんの協力をえて、「アノラックフェス」を開催してきました。
この中でも特に付き合いが古いのがniguと元さん。
元さんは元々EDISONというインディーズCDショップを経営していた、新潟インディーズシーンの始祖。
その後独立して「RISKY DRUG STORE」という店舗を立ち上げ、自分はそこのアルバイトという形で
バンド、ライブハウス業界に携わることになった。
アルバイトで携わるときは17歳くらいの時、それまでバンドをしたかった自分はうっかり試験が一番早い高校を受け、たまたま受かったのでそこに入学。
だが、知らんまま受かったその学校は進学校だったため、バンドをやるような奴があまりおらず、
学校の園外でどうにか探そうと地元のライブハウスに顔を出したりしていたわけだ。
そんな時、より深くこの世界を知るためには働くのがいいのではないかと、当時の新潟のライブハウス
[JUNK BOX]にバイト募集してないかと尋ねたけれど、人は足りてるからと断られ、その足で
当時、新潟に全国ツアーをしているバンドをブッキングしていたRISKYの店舗を尋ね、同じくバイトを募集してないか尋ね、
「お前いくつ?」
「17です」
「じゃぁ来週ステカンやるから来なよ」
こうして始まった、新潟での音楽業界の第一歩。
そこから始まったバンド人生は本当に楽しかったし、たくさん学びました。
こうやってブログを書き出すと、どんどん当時の記憶が蘇ってきて面白い。
この当時は新潟は全国のどのバンドがライブしにきてもたくさん集客して、ライブも盛り上がる熱い地域だった。
当時お手伝いさせてもらった、バンドのメンバーさんからも搬出時に「新潟めっちゃ盛り上がるね、最高だね」ということをよく言われて、とても鼻が高かった。
この時代に、まだデビュー前の黒夢のステージを拝見させてもらったり
Laputa結成前のakiさん、Tomoiさんとも出会った。
本当に貴重な出会いをたくさんさせてもらいました。
そこから数十年、RISKY DRUG STOREを畳んだ元さんに
「新潟でイベントをやりたいです」と持ちかけたのがきっかけで始まったのが
「アノラックフェス」、陣頭指揮を取るのは新潟県人会の中心人物「横山和俊」となるわけです。
2019年の開催後、コロナで冷えたコンサート事情を加味して、しばらくの開催を控えてましたが
今年、華麗に復活!
地元にゆかりのあるメンバーが集うイベントだから、熱も入るし、新潟弁も飛び出るし
出演者側も『祭り』だと思っているから普段のステージの世界観なんかは無視して、全力で楽しむわけです。
会場には地元の銘菓が振る舞われたり、人気の飲食店、飲み屋さん、観光スポットなんかもアピールしたりして
我々が育まれた、新潟の味わいを堪能してもらおう。
そういった気持ちも込めたイベントだったりするわけです。
まだ若い頃は血の気も多いので、自分のバンドのイメージを大事にしたかったりして、「地元活性のイベントなんてダセェ」と多分に思っていたところだけど
変えることのできないアイデンティも自分を形成してきた大事な要素だと、素直に受け入れることができるようになって、このアノラックフェスの取り組みをとても大事に思っています。
いずれは、地元の企業さんを巻き込んだり、ライブハウスに縁がなくとも新潟繋がりで色々な著名人なんかにもご参加いただいて大きな取り組みにしていきたいという野望なんかもありつつも、
やはり実績を重ねたいので、皆様には六年ぶりというタイミングに開催される、この「アノラックフェス2025」に是非ともお集まりいただきたいと思っています。
いずれこの身は朽ちて、土に還り、やがて忘られていく僕ら。
同じ時代に生まれたもの同士、生まれの地を愛でる日を大いに楽しんでいいんじゃないかい?
そういった気持ちを込めて、ぜひみなさん、新潟に思い入れはなくとも集まってくださいませ~